国際労働者協会 第一インターナショナル、IWA

国際労働者協会 第一インターナショナルIWA    企業倒産が相次ぎ、多くの失業者が発生。団結権の部分的承認は、千畳堤の蟻の一穴のごとき役割を果たした。大小さまざまな協同組合が結成され、ストライキ目的の労働組合へと変質していく。各地で労働運動が多発し、大規模なブロンズ工ストライキが発生するなど1851年に発生した帝政による弾圧と労働運動の再生と革命化が進んでいった。こうした各地の労働闘争を支援したのがIWAであり、IWAは積極的なストライキ支援の結果、帝政からの弾圧を受け地下活動へと逃げていった。しかし、IWAは激しい弾圧を受け、トランなどの初期のプルードン派指導者が次々と脱落したため、ブランキ派グループだけが残って、しだいに革命派へと純化していったのである。こうした革命的情勢の積極的利用の背景にはマルクスによる理論的指導力があった。マルクスは、IWAの年次大会のたびに改良主義的な思想だったプルードン主義を激しく糾弾して、フランスの労働運動を革命主義へと誘導したのある。