両替商

古代地中海世界ではフェニキア人がその役目を担い、続いて古代ギリシア都市国家であるポリスにおいて両替商が出現した。前6世紀頃からポリスごとに異なる硬貨を用いたために両替商が必要とされ、トラペザという四脚の机を仕事に使ったことから、トラペジーテースと呼ばれた。トラペジーテースは貨幣、貴金属、文書の保管なども行い、預けられた金を元手に貸付も始め、これが銀行家の誕生につながった。有力なポリスの一つであるアテナイでは、両替商や銀行家は居留外国人であるメトイコイが主に行っていた。  ローマではエクイテス身分の者によって両替商が経営され、ギリシアの両替が海上貿易が多かったのに対して、地域の取引のための両替を行った。  中世期に入ると、ヨーロッパの商業は衰退を見せるが、東方からの貨幣流入は継続され、さらに10世紀に遠隔地商業網が再建されると再び両替商の役割が大きくなった。フランスでは1141年にパリの両替商・金銀細工師をグラン・ポン橋の周辺に集めてそれ以外での営業を禁止して掌握を図ろうとした。このため、この橋はポン・ド・シャンジュ(両替橋)と呼ばれるようになった。同じ頃、北イタリアの都市国家は独自貨幣を発行するようになり、都市間の貨幣の交換を行う両替商が生まれた。彼らは都市の広場にバンコ(banco)と呼ばれる台を設置してその上で貨幣の量目を計ったり、交換業務を行った。銀行を意味するバンク(bank)という言葉はバンコに由来すると言われている。イタリアのジェノヴァヴェネツィアフィレンツェの両替商は十字軍への援助をきっかけにイングランド、フランドル、シャンパーニュなど北ヨーロッパ経済の先進地帯や主要都市に進出をして、十分の一税の徴税・輸送業務や為替業務をも合わせて行い、後の銀行業の母体となった。南ドイツのフッガー家や北イタリアのメディチ家は、両替商から銀行家へと発展した典型的な例である。中世後期になると、フランドル・カタロニア・スイスにも両替商が勃興し、やがて銀行業へと転進する。  

大航海時代になると金融の中心は経済の変動に追いつけずに衰退しつつあった北イタリアから、アントウェルペンアムステルダムをへてロンドンへと移るようになる。以後、ロンドンは20世紀まで世界経済及び金融の中心的地位を占めることになった。  なお、ヨーロッパでは聖マルコが両替商の守護聖人として崇敬を集めていたとされている。