『天邪鬼』 

『天邪鬼』 土木技師の父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮の京城で生まれた。五木寛之は南大門小学校の後輩。子供の時から作家志望で、小学3年頃には科学冒険小説を書いて級友に読ませていた。1942年京城中学校入学。成田豊は親友。敗戦後引き揚げ両親の郷里、広島県佐伯郡地御前村(現廿日市市)で育つ。広島二中(現広島観音高)を経て広島高等師範学校国語科に入学。在学中に同人誌『天邪鬼』を創刊、後に地元の同人誌を糾合し広島文学協会を設立、同人誌『広島文学』に参加するなど精力的に活動した。同人誌のメンバーだった美那江夫人と出会う。また『中国新聞』学芸部の金井利博と知り合い、広島ペンクラブの設立、運営にも加わった。