1969年7月

1969年7月 1969年7月から8月にかけてニクソン大統領がアジア・ヨーロッパの国を訪問した時パキスタンのヤヒヤー・ハーン大統領とルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領に自分が中国指導者との交流を求めている旨の伝言を依頼していた。

1970年12月8日 パキスタン大使がホワイトハウス周恩来からの書簡を持ってきた。内容はパキスタンを通じてのメッセージを受け取った旨を明らかにして特使の派遣を留意するというものであった。この中には、首脳から首脳を通じて首脳に宛てた最初のメッセージなので回答したこと、この件については毛沢東林彪の承認を得ていること、台湾の立ち退きについて話し合うため特使を北京に招待することが書かれてあった。そしてルーマニアからも1ヵ月後に同じメッセージが届いた。周恩来パキスタン経由が万一の場合を想定してルーマニア経由も使ったとキッシンジャーは理解した。しかもルーマニア経由の文章にはニクソン大統領を招待する内容があったが、アメリカはルーマニア経由で特使派遣を承諾する旨(大統領の訪問は触れず)の返事を送った。キッシンジャーはこの時に周恩来からのメッセージに台湾問題はあったがベトナム戦争に触れていないことに注目していた。