共和政ローマのコグノーメン 

共和政ローマのコグノーメン   コグノーメン(ラテン語: cognomen)とは、元々は古代ローマの人名の第三名のことをいう。コニョーメンとも。コグノーメンは当初はニックネームを表したが、のちに家系に世襲される家族名。姓に近いもの)へと変化した。Cognomen という語は、接頭辞の co-(〜と一緒に)+ nomen(名前)に由来する。また人名だけではなく、ローマ軍団の通称(例えば第1軍団ゲルマニカの「ゲルマニカ」)もコグノーメンと呼ばれていた。共和政ローマの後期になるとコグノーメンは日常的に使用されるようになった。ローマ帝国帝政ローマ)初期には、コグノーメンで兄弟を区別するアンナエウス氏族の例がある。大セネカ (Lucius Annaeus Seneca, Seneca the Elder) には3人の息子がいたが、その名前はルキウス・アンナエウス・ノウァトゥス (L. Annaeus Novatus)、ルキウス・アンナエウス・セネカ(小)(L. Annaeus Seneca Minor、セネカ)、ルキウス・アンナエウス・メラ (L. Annaeus Mela) であった。