サウジアラビアの首都 リヤド

サウジアラビアの首都 リヤド  古代から存在したと考えられておりHajrと呼ばれていた。 リヤドはナジュド地方の心臓部であるワディ・ハニーファの中心都市の一つであったとも考えられており人口もリヤドのみでは数万人、ワディ・ハニーファ全体を合わせると数十万人いたとも言われている。この一帯はサウード家の所属するバヌー・ハニーファ一門が支配していたともされる。  18世紀にサウード家の第一次サウード王国の支配下に入ったリヤドは、1818年にエジプトのムハンマド・アリーの軍により本拠地ディルイーヤを破壊されたサウード家が移転したことにより、歴史に名が残るようになった。  サウード家はここで第二次サウード王国を興すが、リヤドは1892年にはサウード家に敵対するラシード家(ジャバル・シャンマル王国)の手に落ちた。

1902年、サウード家を復興したアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードがラシード家からリヤドを奪還して以降はナジュド地方の政治的中心となり、1932年にサウジアラビア王国の首都に定められた。  もともとリヤドは内陸の小都市でサウジアラビア建国以前は数万人が居住するに過ぎなかったが、第二次世界大戦後、石油の富がサウジアラビアに還流するようになると急速に発展し、アラビア半島最大の都市へと変貌を遂げた。