ハプスブルク帝国の崩壊とユダヤ人問題

ヴィルヘルム大公はハプスブルク帝国の末期を語る。ヴィルヘルム大公はポーランド第二共和国の国民として余生を送ったカール・シュテファン大公の息子である。第一次世界大戦期に帝国陸軍将校を務め、ウクライナハプスブルクの創設を試みた。1920年代にパリへ遁走し、後にヒトラーへ傾倒、姿勢を転じてナチス・ドイツソ連に対してスパイ活動を働き、戦後にキエフの獄中で死んだ。そんなヴィルヘルム大公が1937年12月、友人トカリへ宛てた手紙の中でオットー元皇太子を批判しながらこう書いている。「どんな復興も「ユダヤ人とフリーメイソンのおかげ」でなされるもので、王朝そのものが「ユダヤ人の行う事業」になってしまった」と。ティモシー・スナイダーは大公の考えを不確かだと書いているが、特に根拠を添えてはいないが、ユダヤ人を使用してスパイ活動をしたことは確かである。