1972年

1972年(昭和47年) 9月 - 日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。

9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。この際、田中は周恩来から一枚の色紙を渡され喜んでいる写真が新聞に掲載された。

色紙の言葉は「言必信行必果」と書かれてあった。しかし、この言葉は論語から引用したもので、この言葉のあとに「硜硜然小人哉」と続く。

この記事を見て安岡正篤は、この言葉の真の意味も知らないで喜んでいる田中を見て、田中の教養のなさと中華人民共和国のしたたかさを周りの人にと指摘したといわれる。

諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社刊)では、「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやりとげる。それは士として持つべき資質だ。しかしながら、もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい」と訳されている。

同日、中華民国が対日国交断絶を発表。

Battle of the Hydaspes

 The Battle of the Hydaspes was fought between Alexander the Great and King Porus in 326 BC. It took place on the banks of the Jhelum River (known to the ancient Greeks as Hydaspes) in the Punjab region of the Indian subcontinent (modern-day Punjab, Pakistan). The battle resulted in a Greek victory and the surrender of Porus. Large areas of Punjab were absorbed into the Alexandrian Empire, and the defeated, dethroned Porus became reinstated by Alexander as a subordinate ruler.

二月革命

また1848年には「ヨーロッパの憲兵」と称してハンガリー独立運動を鎮圧した。フランスの二月革命に呼応したもので、オーストリアにおけるメッテルニヒ追放やプロイセン内での反乱にも手を貸して鎮圧している(この二つの支援がクリミア戦争においてロシアが優位に立てると見込んで開戦した根拠に)。

この革命に当たってロシア国内の監視を強め、サン・シモンやシャルル・フーリエの書籍を所蔵していた巨大な貴族を中心とした秘密組織ペトラシェフスキー・サークルを検挙する。

そのサークルに属していた陸軍工兵将校として製図局に勤めた後創作活動をしていたドストエフスキーもいて、シベリア流刑になる)。

ポーランドとプラハの春

16世紀以後、ポーランドは何世紀にも渡りタタールクリミア・ハン国と戦争をしていく。南東部の国境地帯は18世紀になるまで常に半戦争状態にあった。この時期、南東部に住む300万人以上がクリミア・ハン国によって拉致され、奴隷として使役された。