カンダハール

カンダハール 現在に繋がるカンダハールの町は、紀元前4世紀、アケメネス朝を滅ぼしたマケドニア王国のアレクサンドロス大王ギリシャ語でアラコシア地方と呼ばれたこの地域の主邑として、既に数千年前からの集落があったカンダハールの地に築いたギリシャ都市アレクサンドリア・アラコシアに遡る。同じ世紀の末(紀元前305年)にはアレクサンドロスの帝国を引き継いだセレウコス朝からマウリヤ朝のチャンドラグプタに割譲され、孫のアショーカ王(在位紀元前268〜前232年)はこの地に法勅碑文を刻ませた。丘陵の岩壁にギリシア語とアラム語で刻まれており、小磨崖法勅と呼ばれるカンダハール第一法勅である。第二法勅(ギリシア語碑文)、第三法勅(アラム語碑文)も1963年に発見されている。 インドの王国の支配下に入ってインド文明の影響を受け、仏教が信仰されるようになった。その後もクシャーナ朝やサーサーン朝の統治のもとで仏教文化が栄えたが、7世紀にアラブ人による征服を受け、ムスリムイスラム教徒)の支配下に入った。