イーラーンのパルティア王国

パルティア王国  初代王とされるアルサケス1世は、アルサケス朝を創設する以前は中央アジアイラン系部族で、ダハエ氏族連合に属する遊牧民パルニ氏族の族長であった。イラン北東部に位置するパルティア地方は、アケメネス朝の、その後はセレウコス朝シリアの支配下にあった。B.C.3C半ば頃、東方におけるセレウコス朝シリアの支配は弱体化しつつあり、B.C.250頃にはバクトリアのサトラップであったディオドトス1世がセレウコス朝シリアの支配から独立した。続いて、パルティア地方ではやはりサトラップであったアンドラゴラスが、B.C.240代初頭にセレウコス朝から離脱した。アルサケス1世と、その弟のティリダテス1世(ティルダート1世)は、このアンドラゴラスを破ってパルティア地方を支配下に置いた。これがパルティア王国(アルサケス朝)の成立である。しかし、この出来事が正確にいつ頃の事であるのかはわかっていない。アルサケス朝の宮廷はアルサケス起源の初年を前247年に設定したが、これがアンドラゴラスを打倒した年であるかどうかはわからない。アルサケス1世は、アサークという未だ位置不明のパルティアの都市で即位式を行った。